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代表挨拶

 

 

次世代運動 代表  北村達哉(相馬)

 

 

2022年11月に盛岡にていわゆる「反サロ」デモを始めたところ大きな反響をいただき、今日まで事あるごとにデモを主催している北村達哉といいます。

 

これからネット・リアル両面での啓発活動や、政治家へのロビイングなどの政治活動を本格的に始めていくにあたり、この場を借りて自己紹介と意気込みを述べます。

 

 

次世代のための社会運動

 

我々のミッションは、文字通り「次世代」のための社会運動をすることです。

 

今、我々は人類史上類を見ないほど少子高齢化の進んだ国に生きており、それはつまり有権者のうち若い世代の占める割合が民主制史上稀に見るレベルで小さくなった(そして、それが回復する見込みのない)社会に我々は生きているということです。20代以下に限って言えば、もはやマイノリティと言って差し支えない状況です。我々はマイノリティたる若者・子供世代の代弁者として活動します。

 

また、今日の日本でいくつか行われている社会運動は、いずれも我々の生活感覚からは遠く、意識の高い特別な人たちがやっているものというイメージがあります。先進諸国と比べ顕著に低い日本の投票率はその現れでしょう。その離れてしまったイメージを、活動を通じて我々の生活感覚に取り戻すことも目指します。

 

 

僕の出自について

 

僕を素顔デモに駆り出した最後の一押しは、やはりコロナ禍における日本社会の様子でした。ここまでの約4年間をどう見るかは人によって様々でしょうが、日本社会に何らかの危うさを感じたということだけは立場を超えて我々に共通することだと思います。しかし僕は、それよりもっと前から危機感を抱えていました。それには僕が生まれ育った場所が関わっていると思います。

 

 

僕は青森にある人口一万人強(当時)の、最寄りの映画館まで車を使っても1時間ほどかかるような田舎町で生まれました。物心ついたときから、馴染みの店が閉まっていき、祭りの組が一つまた一つと活動をやめていき、同級生たちは県外進学・就職していくのが当たり前…という空気感の中で育ちました。

 

周囲の子どもたちと比べて地域の大人との関わりを多く持っていたほうだった僕は、地元のそんな衰退ぶりを人一倍つらく感じながら大人になりました。

 

なんだかんだで地元を愛していた僕は、そのまま高卒で地元就職しました。ある日、関東の大学へ進学した友人のところへ遊びに行ったとき、彼は「こっちにいると少子化問題なんて存在しないような気になってくる」と言ってきました。外を歩くと確かに、そこらじゅうアパートばかりで、自分と歳の近い若者たちが路地を行き交っていました。

 

こんな場所は僕の地元にはほとんどありません。

 

彼は聡明な人だし一緒に地元で育ったので冗談半分の発言なのは分かりました。しかし、生まれも育ちも賑やかな街で、青森の郡部のような場所には縁がないまま生きる人々からすると、もしかしたら少子化問題なんて知らなかったり、そうでなくとも実感を伴わないものだったりするのかもしれない…なんて思いました。

 

日本は、三大都市圏に人口の半分以上が集中しています。

だとすれば、社会の衰退を肌身で感じて育ってきた僕は日本においては珍しい人間で、炭鉱のカナリヤのような使命を帯びているのかもしれません。

 

 

ヘロインの問答から考える

 

ヘロイン問答という、自分にとっての有意義な人生とは何かということについて思い巡らすのに役立つ考え方があるようです。

 

いかに幸せになるかを考える出発点として、まず薬物でそれを叶えることを検討してみるのが「ヘロイン問答」だそうです。

 

僕なりに考えていってみます。まず①僕がヘロインを服用したいかと考えると、やはり依存や中毒が怖いのでイヤです。

 

次に、②今すぐあらゆる面倒事から逃れるために人間関係をリセットしまくって、最低限の労働だけしつつ即病気にならない程度の快楽に耽ること。特にネットやゲームは非常にコスパが良いです。

 

ですが、これは僕からすると虚しく感じます。①、②に足りないものは良好な人間関係だと思います。では、③気の合う仲間を作って、即病気にならない程度の快楽を一緒に楽しむ生き方はどうでしょうか。やはり喜びは分かち合う仲間がいることで大きくなるものです。

 

しかしこの③も、僕からするとあるものが足りません。
それは時間軸の感覚であり、我々は老いたあとや死んだあとも何かしらの形で語られ、評価される存在であるという自覚です。言い換えるならば恥の感覚でしょうか。今僕は26歳ですが、2050年の26歳たち(今年生まれる赤ちゃん達がそうです)は、今の僕のように、ほどほどに働き、休日は仲間たちとほどほどに楽しく過ごす…そんな日々を送れているでしょうか?

 

流れてくるニュースを見ている限り、そんなおだやかで豊かな未来が待っている可能性は低いでしょう。

2050年の日本の若者たちは、僕たちをどう評価するでしょうか?

 

そんなことを考えると、ただただ快楽に耽る日々を送ることは出来ません。僕なりにヘロイン問答をしてみると④未来を生きる子どもたちに恥じない生き方をするという結論に至ります。

 

それでもなぜそんな自分の得にならないことをし続けるのかと言うと、僕がお人好しであるという理由以外思い当たりません。過疎の進む田舎に生まれたとはいえ、僕はとても人の縁に恵まれてここまで生きてこられました。

 

人は、何か施しを与えられると他者に対しても何か与えたくなってしまうものです。それはある種のエゴでもありますが、それさえ否定してしまうとこの世には何も希望がなくなってしまうのではないでしょうか?エゴだ、自分勝手だと言われても、やります。僕自身の行動の結果としての報いは甘んじて引き受けます。

 

とにかく、僕はこの世界を少しでもマシなものにしたいのです。学歴は高卒で大した経歴もなく、さほど頭も回らず要領も悪く、しかし覚悟だけはあるつもりです。こんな人間ですが、どうか皆さんの力を貸していただきたいです。

 

僕と一緒に戦ってほしいです。

 

どうか、よろしくお願いします。

 

 

2023年大晦日、片田舎のイオンのフードコートにて

 

 

 

共同発起人(木田 勉三:kidasangyo)

 

勉三アイコン

 

一昨年の夜にTwitterをしていると、北村さんが盛岡の駅前で、社会保障改革に関するデモをしている姿が流れてきました。1人で盛岡の街頭に立つ彼の姿を見て、こんな身体をはる若者もいるのだなと感心しました。その後、デモをする為に夜行バスで東京に来た彼と出会い、高齢者医療や世代間格差の問題などについて語り合いました。

 

北村さんは青森で障害のある方々への支援の仕事をしており、地に足がついた思考と言葉からは、福祉現場での仕事を通して浸透した人間の重みを感じさせました。日々の生活の中で、街から子供が減り、現役への負担は青天井で増える、先行きの見えない状況に憤りを感じていました。

 

自分には何もなく、覚悟くらいしかない、だから本気で取り組みたい

 

その言葉を聞いた時、彼には次世代のリーダーたる資質を持つと確信しました。

 

本物の社会活動家には、他者の為に行動と言葉を捧げられる覚悟があると考えています。私はそれを「血で文字を書く資質」と形容しています。その資質は、表面的な知識や駆け引きの巧みさを上回ります。そんな若者が現れたのなら、応援しようとずっと考えていました。

 

今回は私が北村さんの社会活動家としての独り立ちを応援する形で、団体を立ち上げました。

 

皆様も応援よろしくおねがいします。

 

私も、出来る限り彼の活動を支えていくつもりです。

 

 

 

 

 

 

 

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